

コロナ禍で見えた
政治を変えたい
コロナ収束には、自己責任から、大規模なPCR検査、補償、医療機関支援への転換が必要です。さらに、コロナで見えた課題の解決も待ったなしです。


定時制高校で学んだ4年間
私の活動の原点は、大崎高校定時制の4年間にあります。 クラスには、70代の高齢者、障害を持つ仲間、LGBTや経済的困窮を抱えた仲間、いじめなどつらい過去を背負った仲間がいて、励まし合いながら勉強しました。育ってきた環境も年齢も違う仲間たちと4年間過ごして、誰もが幸せになる権利があることを学びました。
自己紹介
白石たみお物語
1. 誕生~寿司屋になりたい
1982年1月、母芳枝さん、父武実さんの第一子として板橋区の小豆沢病院で白石民男は生まれました。育児記録によれば、12月に芳枝さんが体調を崩し入院、予定日より16日も早く生まれました。
芳枝さんは、「窓にふる雪をみて、とても幸せな気持ちになった」と回想しています。「民男」の民は、民主主義からとったそうです。
産休明けから、大森北保育園に入り、何でもよく食べました。特に魚が好きで友達の分も取ってたべるほどだったようです。

大森第五小学校の1年生の時は、忘れ物名人で芳枝さんを悩ませました。勉強よりも体を動かすことが大好き、学校から帰るとランドセルを放り投げ、暗くなるまで遊ぶ子でした。
小3から中1までは、野球に熱中。地域の少年野球チーム「美原アテネス」に入り、火~金まで続くつらい朝練も頑張っていきました。6年生の時には、背番号8、センターでレギュラーとなり地域の大会で3回優勝するほど強豪でした。
小学校の卒業式では「将来寿司屋になって、安い値段で誰もが気軽に食べられる寿司をつくりたい。お金をためて船を買いたいです」と発表しました。
その思いの背景には、釣り好きの祖父が、自宅で魚をさばき調理する姿に「かっこいい」と感じていたことがありました。

中学校は、大森第二中学校へ。卓球部に所属。勉強は不得意、遅刻も多く、成績も上がらず両親を悩ませました。
夢中になったものは、少年が寿司職人をめざし、全国各地の達人とたたかいながら一人前の職人になるまでを描いた漫画「将太の寿司」(寺沢大介・講談社)でした。
中3の担任は、「寿司職人か高校か」に悩んだ時、とても親身になって高校進学をすすめてくれました。
先生のすすめもあり、私立自由が丘学園高校に入学。同時に、父の知り合いの南大井にあった回転寿司屋でもアルバイトを始めました。
毎日職人さんを見ている中で寿司職人への夢が再び大きくなり「この世界、学歴は関係ない。実力があれば自分の店ももてる」の言葉にも促され、いつしか学校へいくことの意味を感じなくなり、学校を休む日も多くなりました。
高校1年の終わり頃中退する決意を固め、そのことを両親に相談。両親は「高校を出てからでも遅くない」と大反対しましたが、最後は、民男さんの熱意に押され認めました。
自ら退学届をだし、バイト先のあっせんで大井町にある寿司屋へ就職し、そこから本格的な寿司職人をめざす修業が始まりました。
白石民男16歳の一大決心です。
PROFILE
プロフィール
1982年生まれ、43歳。高校中退し、寿司職人修行5年。21歳で大崎高校定時制に入学し、06年卒業。13年都議選で初当選。都議団政調会長。経済・港湾委員会理事。妻と娘(1歳)。趣味は帰宅ランなどジョギング。

